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藝大人たち - 第七回 酒井駒子

連続コラム:藝大人たち

連続コラム:藝大人たち

第七回 酒井駒子

藝大出身の著名人に現役の学生が質問をぶつけ、その対話の中から芸術と教育の接続点について探る。本連載、「藝大人たち」は、そんな目的を持った対談インタビューだ。第七回は、初の大規模個展「みみをすますように 酒井駒子」展を開催中の絵本作家?酒井駒子さんに、美術学部絵画科油画1年の杉本ひなたさんと髙野詩音さんがインタビューを行った。

どう形にしたらいいかわからなかった

杉本

私は子どもの頃読み聞かせをしてもらった記憶があるのですが、酒井さんはそういう絵本にまつわる思い出はありますか?

酒井兄がいたので家のなかに兄の本はあったんですが、私の本というのはなかったんです。でもあるとき、母が『ちいさなうさこちゃん』の絵本を私にくれたんです。ディック?ブルーナのミッフィーですね。「これはあなたのだから」みたいな感じでニコニコして。母もきっと絵本を買ったこともうれしかったし、それを読み聞かせるのもうれしかったんだと思います。機嫌良く読んでくれてから、「どうだった?」って聞かれたんですが、私は「よくわからない」みたいなポカンとした顔をして、母を少しがっかりさせてしまった。うさこちゃんのお話ってそんなに起伏があるわけじゃないから…。その一連の出来事をよく憶えています。その絵本を好ましいと思ったけれど、まだ小さいから気持ちをうまく言葉にできなくて、大人に伝えるすべがないというか、ただ心の中で思っていた。そういうことを憶えています。

杉本

酒井さんは小さい頃、将来の夢はありましたか?

酒井

小さい頃は…特になかったかな。何かになりたいとかは、あまりなかったですね。

杉本

大学時代は演劇をされていたそうですが、制作においてはどんな作品を作られていたのですか?

酒井

大学時代はお芝居ばっかりで、大学にはあんまり行っていなかったですね。たまに行って、大浦食堂でごはんを食べて友だちとちょっとおしゃべりして帰ってくる、そんな感じだったような。作品としては子どもとか、子どもの頃とか、それに対して母親がいるとか、そういうものを形にしたいと思っていました。箱みたいなもののなかに人とか物を配置して立体作品を作ったり。だからテーマとしては今もずっと続いているんだけど、学生の頃はそれをどう形にしたらいいか、よくわからないまま作っていたという感じです。

杉本

その頃から子どもというテーマに関心があったんですね。

(PLAY!MUSEUM会場風景)「みみをすますように 酒井駒子」展では「ある日」「ひみつ」「こども」などのキーワードごとに作品を展示

酒井

そうですね。それは今、大人になった自分にとっての「小さい子ども」というよりは、やっぱりまだ十代とか二十代初めは自分自身が子どもなので、自分自身を作っている感じだったと思います。

高野

それから平面表現のほうへ進み、今は絵本を作られています。対象も自分自身の延長としての子どもから変わってきたと思います。何かご自身のなかで変化のようなものがあったのでしょうか?

酒井

学生のときはそういう作品を作っていたんですが、でも学生が終って働かなければいけなくなったんですね。新聞の求人広告に「絵の好きな方募集」と、着物のテキスタイルの会社の募集があって。小さなデザインアトリエのようなところ。そこに就職をして、そのときに初めて紙に絵を描くということに出会いました。それまではキャンバスとか硬いものだったけれど、初めて紙を扱ったんですね。そこで日本画や琳派の模写とかをしたんですが、模写をするとすごく絵に向き合うから、古典の絵に対して「こんなにおもしろいんだな」って自分のなかで発見があったり、紙に絵の具を乗せることに少しずつ慣れていきました。でも会社勤めが自分には本当に向いていなくて、「早く辞めたい」って思っていました。だから1人で仕事ができるようにならなきゃいけないなって。そのときに思い出したのが、中学生ぐらいのときにすごく絵本を作りたくなった時期があって、実際に自分で作ったりしていたこと。そういえばあんなに絵本を作りたいって思っていたんだから、絵本を作ることを仕事にしたいなって思い始めて。二十代半ばから後半ぐらいでした。そこから絵本を作ろうとし始めました。

杉本

私もちょっと絵本みたいなものを描いたことがあります。小学生のときは漫画を描いてクラスのなかで回したりして。

酒井

うん、本当にそういう感じです。アニメーションとか漫画のキャラクターをまねして描くとか、好きな顔を描くとか、そういうのと同じだと思います。そういうことを中学生ぐらいのときにしていました。その頃から絵本は好きで、何となく自分の生活の側にはいつもあったけど、本当に自分で作ってみようと思ったのはさっき言ったように、大人になって自分1人でできる仕事をしたいと考えてからです。

杉本

何年ぐらい勤めていらっしゃったんですか?

酒井

5年ぐらいですかね。

高野

絵はいつもそばにあって、言葉も同じように近くにあったのでしょうか?

酒井

絵はあまり褒められなかったんですけど、小学生ぐらいのときから作文とかはけっこういいねって言われていました。ラジオで本の朗読とかありますよね。そういうのを聞いて、宮沢賢治の童話を耳で憶えて学校のお話会とかで再現したり、そういうことが好きだったのかなと思います。

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